![]() |
|||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||
|
![]() |
||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||
『人生楽しくなくては意味がない!』という思いをこめて名付けました。 | |||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||
宇山昭彦は、探検部を卒業後、オーストラリアでラフティングガイドとして働き、帰国後、日本でラフト会社設立を計画したが、いかんせん先立つものがなかった。そこでラフトの大会の優勝商品がボートであることに目をつけ、大会出場メンバーの谷、荒美、坂田、河野らを募り、平日の日中は工事現場でのバイト、夜はウエィトトレーニングに汗を流し、ひたすら夢の実現を頭の中で描き、体を動かす毎日であった。当然、週末には、メンバーで保津川を3本下り、また心臓破りの八丁峠で10kmのランニング、腕立て、腹筋などハードなトレーニングを毎週行った。 その甲斐あって、97年のラフティング大会は、ラフトの王様カップを皮切りに、清津峡ラフティング大会、日本リバーベンチャー選手権、天竜川WWFと出場するレースすべてに優勝しこれらの大会の優勝商品であるラフトボートを元手に、ビックスマイルが立ちあがった。 |
![]() |
||||||||||||||||
|